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□□■ Note >> COMPILE Electric Shock !



■苦手なカラオケ。
 稀に仕事先の同僚に誘われたり、流れで行くことになったり。
 歌うこと自体は嫌いじゃないんだけども……とにかく邦楽どころか、歌詞が入ってるか怪しい音楽しか聞いてないので、いかんせん出かけても歌う歌がない。
 手をこまねいてると、自分を良く知ってる友達は自分に歌えと言わんばかりに勝手に曲番号を打ち込みマイクを突き出してくれる。

「灼熱のファイヤーダンス」

 数少ない自分が歌えて、カラオケにもよく入っている曲。
(かつてはハングル語バージョンも歌えた)

第3回全日本ぷよマスターズ


■自分がこの曲とであったのは中学校の頃。
 もちろんぷよぷよ。
 中学生になった自分は家庭で禁止されていたマンガ、アニメ、ゲームなどがなし崩し的に解禁になって、堰を切ったようにむさぼりまくっていた。
 そんな中とりわけ熱中していたゲームがぷよぷよだった。
 友人に自分を加えた4人で、とにかく毎日毎日、対戦対戦に明け暮れていた。

「公式大会に出よう」
 ある日ゲーム雑誌で見た広告を見て、自分は仲間と一緒に大会へ出かけた。
 96プレイステーション・ぷよマスター大会、もちろん結果は惨敗。
 時間内戦って戦って、結局誰も1勝も出来なかった。
 レベルの差を知って落ち込むどころか、むしろ自分は予選通過してやろうと強い戦い方を研究した。
 狭苦しい室内、イベントステージでは灼熱のファイヤーダンスが流れていた。 

 年が明けて97年1月15日セガサターンぷよマスター大会。
 冬休み、やっぱり4人は自分の部屋に集まって毎日ぷよぷよだった、とりわけ友人iと自分の2人は安定して強くて、前回出た大会の時とは一皮二皮もむけていた。
 お互いは目標は予選通過、しかし、やはり壁は厚く、初めて公式大会で勝利を記録したものの、予選通過枠25勝には程遠い5勝前後を記録した程度だった。
 ちなみにこの日、夕方のニュースの取材を友達と一緒に受けて友人と一緒にTVに出演した。
 翌日学校で話題になったのは今となっては笑い話。
 やっぱりステージでは灼熱のファイヤーダンスが流れていた。

 3月30日、全日本選手権となる全日本ぷよマスターズ大会。
 この日も自分は仲間と一緒に幕張メッセへやってきた
 全日本選手権と言う形になるだけにいつも以上にレベルの高い大会になるのは予想できていたが……それ以上に自分はぷよぷよに熱中していた。
 十字キーの下方向押しっぱなしもマスターして久しかったし、階段積みや状況にあわせた発火催促、導火線フィーリング連鎖などいろんなテクニックも叩き込んできた。
 大会がスタートして、1勝、そしてまた1勝といつも以上に順調に勝ち星のスタンプを重ねていく。
 "折り返す"と時間がかかるから1段目の連鎖だけにとどめる。
 最後の同時消しで一気にレートを上げて相手を潰す。
 強い相手には気をつける、万が一当たったらとにかく速攻を心がける。
 全消し狙いには2〜3連鎖でちびちびと焦らす……

 制限時間は確か2時間程度だったと思う。
 時間も押してくると勝機のない連中は引いて、対戦待ちの列は短くなってくるが、予選通過の可能性のある連中ばかりのつわものばかりだ。
 そして自分も、その線に乗っていた。
 予選通過枠は25勝128人。
 20勝を過ぎた辺りから少しづつ苦しくなってくる。 1勝が重たく感じた。
 時間終了15分前、自分の持ったスタンプカードは25まで見事に埋まった。
 予選通過だ!! 自分は飛び跳ねて喜んだ。

 結局その後の2次予選のトーナメントでは、初めて触るスーパーファミコンのコントローラだったので、ミスを連発。
 あっけなく1回戦落ちしてしまったが、仲間のうちで予選を通過したのは自分だけだった。

 そしてその日もイベントステージでは灼熱のファイヤーダンスが流れていた。

 翌98年、中学校の卒業式の後、4月に行われる全日本選手権に向けて自分は相変わらずトレーニングをしていた。
 12月、1月に行われた大会では枠が狭く予選通過こそならなかったが、確実に強くなってきている手ごたえがあった。
 優勝じゃなくていい、名人と呼ばれる人たちと同じ土俵で戦いたい、ステージの上で歓声を受けながら対戦したかった。

 しかし、3月21日、開発元の株式会社コンパイルは倒産、第四回大会は無期限延期となり以後全日本ぷよマスターズが行われる事はなかった。




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