■□□■キミは知っているか、あのいすゞがWRCに興味を示していた事実を…

ジェミニのグループB

▲"いすゞ・ジェミニCC4 86年アルガーブラリー仕様"

 ベースはJT190型で、エンジンは縦置きのビスカス4WD、1.6リッターエンジンは当時提携関係にあった西ドイツのチューナー・イルムシャーにて1.78リッターに拡大され、これにエアーリサーチ製のターボユニットが搭載される。
 この排気量はターボ係数をかけると2.5リッタークラスになるように設定された。
 グループBのパワー競争は苛烈を極めていたが、このエンジンはチューニングによって450psを発揮するに至った。
 ベース車両のボディデザインはジウジアーロのイタルデザイン社だが、モータースポーツにノウハウの無いいすゞは、ラリースペシャルにおける開発、及びシャシー制作は、コレも当時提携関係にあったロータスに打診した。

 当時WRCはミッドシップ4WDが勝利の方程式となっていたが、アウディ・スポーツ・クワトロの苦戦は極端なショートホイールベースと、前後の余剰なオーバーハングによるコーナリングバランスの崩壊という見解を持っており、ロータスのデザイナー、ジェラール・ドゥカルージュはフロントエンジンであっても良好なマシンバランスと、緻密なサスペンションセッティング、適切な駆動配分で十分トップは狙えるという結論に至った。
 そのためダグナッシュ製のギアボックスはリアに搭載されるトランスアクスル方式を採用、このおかげで重量配分はフロントエンジンながら47:53という、若干リアよりの重量配分を実現している。
 駆動方式はRWD、4WDのトルク配分35:65、4WDセンターデフロック50:50の3つのセッティングが容易に可能だった。
  
 プロトタイプの完成は86年の3月、実際のポルトガルのコースを使い、テストドライバーのペンティ・アイリッカラによってテストは進められた。
 このときに試験的にNAVI−5の試作品であるラリー仕様のテストも行われた。
 既に85年のRACにてアウディがPDKトランスミッションを実戦でデビューさせており、電子制御によるトランスミッションの開発も平行して行われたが、テストの結果は芳しい物ではなかったと言う。
 
 翌月に行われた英国のヨークショナルラリーにてこのマシンは実戦デビューを飾る。
 このラリーはホモロゲの必要のないイベントで、ドライバーはアイリッカラがそのまま乗り込んだ。
 だが、いくらかも走らないうちに、エンジンが息絶えてしまう。
 開発当初のジェミニCC4はまだエンジンルーム内のベンチレーションに問題を抱えており、このラリーの後、ボンネット上にベンチレーターが追加された。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
……ていうか、ウソですよ、妄想ですよ(笑)